人と違ってていい
庭のキウイの木です。
今年は繁しげと、元気です。
上に上に伸びていく姿に勇気をもらえる。
見た目は緑の草・植物ということで、ざっくり同じだけど、草も植物もそれぞれに違いがある。
パッと見は分からないけど、じっと見たら分かる。
草や植物が好きな人は、一見何のちがいもないようにみえるものの違いを見分けて、愛でて、大切にしている。
自然界に存在する私たち人間も同じ。
大きな存在から見ると同じように見えるけれど、まったく同じではない。
だから、感じることや、感じ方・考え方はほかの人と同じでなくて当たり前。
他の人が、私の考えや思いを理解しなくても当たり前。
私たち家族は、特別仲が悪いわけではいけれど、特別仲が良いわけではない。
なんというか一人ひとり独立していて、好きなことを好きなようにやっているイメージ。
でも必要なときには、「家族」という形を取る。
イメージ的に言うと契約家族みたいなかんじ。
魂の結びつきで言うと、きっとそうなんだと思う。
今回の人生では「家族やろうね」っていって、神さまの国で契約書にサインして来てる。
だから、ソウルメイト的な強いつながりはなく、家族での学びのために集まってきているのでしょう。(あくまで私の場合です!)
だけど、家族のほかの人のことが好きじゃないかと言われると決してそうではない。
めちゃくちゃ好きかと言われるとそれは違う。
だけど心の奥の奥の奥できっちりと家族として、本当に大切に思っている部分があって、
それは私はあまり表には出てこないタイプらしく(見た目は分からないけど、内側でメラメラ燃えてるんだって。そして、突然その燃えてるものが表面に出てくるので、エッ!そんなふうに思ってたの?冷めてるのかと思ってた!と驚かれる、という性質を持っているらしい。)、
すごく大切な存在ではある。
だけど思い出とかも特になくて😅
家族の思い出は?と聞かれて、
特に………と答えることが多い。
それで、なんて冷たい人なの!
みたいな反応をされたことがあって、
でも、それって真実ではないんだよ
ってすごく伝えたい。
たしかに家族としての思い出はあまり覚えてないけど、
家族として好きじゃないわけでも、憎んでいるわけでもない。
本当は本当はすごく大切に思っている。
だけど、人から冷たいと思われる。
本当のことって表面に出てるだけではないの。
大切におもっていることの表現の仕方が人それぞれであり、違ってて当たり前。
人から○○とレッテルを貼られることに違和感があるけれど、それに負けず、自分らしくいることが本当に大切。
人と違うからこそ、
私、という個性がより輝く。
そんな風に思っています。