その先に見えるもの。
見たい景色があるなら、
やはり進んで見に行かないことにはしょうがない。
いくら、インターネットが発達して、
ネットで『行った気分』を味わえて、
ネットで『知らないことを知れる』環境が
ものすごく整った現代だとしても。
その場で体感すること、
その場で見えるもの、感じるものは、
そこへ行って、見ないことには
「真実」は得られない。
見に行きたいのに、
仕事が休めなくて行けない。
お金がなくて、行けない。
家族が賛成してくれないから行けない。
そもそも、見に行きたいと思ってないかもしれない。
ネットで雰囲気分かるし、それでいいかも。
ていうか、そんなの行く人の方がどうかしてる。
行かなくても、生活変わらないし。
こういう不平不満、文句、責任転嫁をしているうちは、どんなに望んでいてもその先へは行けない。
その見たい景色は見えない。
どこかで聞いた言葉だけど、
不満がでるのは本当に一生懸命頑張っていないから。
本当に頑張っていると、「知恵が出る」そうな。
どうしようか、と考えるからだろう。
不満を言っているのは、基準に達していない自分を守るための
正当防衛みたいなものかも。
安全圏にいたいものだし。人間とは。
見たい景色というのは、
叶えたい望み・願いのこと。
その望みにたいして、自分は何をどこまでやっているか。
どう動いているか。先に進むための知恵を練っているか。
週初めだし、そんなことを考えるのもいいかも☆