過去は自分で定義しなおす
お花は癒される。本当にね。
散文的に、思いのたけをつづります。
たくさん過去がある。
生きてきた分の経験がある。
スピリチュアルなバシャール(宇宙存在)的に言うと
過去というのは、自分の別バージョンであり、
存在するのは「今」だけ、ということなんだけど、
それでも、人間である私たちにわかりやすい理解はやはり「過去がある」ということ。
だけど、自分自身が存在しているのは
「今だけ」というのも事実で。
だって、何かを考えているのは「今」、でしかない。
このブログを、書いているのも「今」。
だけど、確かに私には過去がある。
それは別バージョンの自分です、
と言われても今の私には理解できない。
ただ、私が存在しているのは「今だけ」というのはすごくよく分かっていて、
だからこそ私が「過去」だと思うものは、
今の私が、好きに考え直すことができる。
事実「私は東京大学に行っていない」
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私の過去「東京大学に行けなかった私はダメだ」
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私の新しい過去
「東京大学に行けなかったからこそ、悔しさを学んで、良い経験になった、だから行けなくてよかった」
こういう風に、過去の捉え方、
認識の仕方というのは、
その時その時で自分が思うように変えることができる。
過去の事実は変わらないけれど、
事実に対する認識が変わることで、
180度、過去は変わる。
苦しい過去が、楽しい過去になる。
だから、すべては「今」の私の意識がつくっている。
じゃあどういう意識で、その事実をみつめますか?
苦しい、辛い、嫌だ、どうして私ばっかり、みんな回りが悪い。
そういう世界なのか。
楽しい、嬉しい、助かる、ありがたい、感謝、みんなのおかげ、生かされている、起こることはベスト。
そういう世界なのか。
一瞬一瞬の選択が問われています。